シカナタシュラン

ひらせの日記です、大層なこと無いです。世の中が普通の人が抱えている「仕方ない」をなんとかしたい。

201907111.コンテクストの深みを泳いで

ランドスケープ的視点からみると

アセスメント、リサーチが課題を発見することで全体のプラン、デザイン、そしてマネジメントまでの一貫した計画論が存在する‥とされている。

 

まちづくりオーラルヒストリーは、上記の手順における課題発見の手法として考えられる。

いわゆる地域に根付いた、あるいは生まれてしまった「地域遺伝子」を読み解くことで現在まで積層した風景のありかを探ることができる。

 

オーラルヒストリーは、過去から現在までを回顧することで未来へ繋ぐコンテクストである一方、現代社会が抱える課題やそれに立ち向かう解決しようとする各種事案の発生経緯を読み解き、「名付け」を行うことで手法論の位置付けが可能となるとも学べた。

 

ランドスケープが関与する上記の一連のプロセスは、発生した課題や事象に対する対処、解決策として用いられるが手法論の位置付けまでに至る事例は少ない。

手法論の位置付けには限りのない成功例と失敗例、世論政治が関与すると考えるため所謂method(手法)が確立されるまでにはかなりの時間を要すると思われる。

 

しかしながら、特殊事例や成功事例を広報すること、共有すること。つまりは世に知らしめることは重要な位置づけを示すのではないのだろうか?

メディア、テクノロジーの進化によって私たちが触れる情報の量と種類が多様化する中で、ランドスケープのような時間軸とともに織りなす事象がどう社会へ認知され、社会を変革していくこどができるかが問われている。

 

今日学んだのは、

コンテクストを詠むこと。

そして何よりコンテクストを引き出すチカラも重要であり、それを事象として体系付けていくチカラ。というのも学んだ。

 

まちづくりの現場に身を置くものとして、根幹としてのランドスケープを学ぶ中で学問を抜け出し社会を変える術として私がこの業界に関わっていること。そして術をたくさんの人に伝える社会的責任があることを再認識できた。

 

武井壮さんの言っていた言葉である「どれだけ多くの人が求めていることをできるか、つまりは価値を共有できる人間がどれだけいるか」という言葉で閉めたいと思う。f:id:vegumnekun:20190711232032j:image