20190220.濡れ衣は風邪をひく元
そろそろ、傘のあり方は変えるべきかも知れない。
雨が降ると、街ゆく人は傘をさす。
カッパをかぶる人、ずぶ濡れな人。職業柄、単に忘れた、恋人に振られた等の追加要素がない限り、人は大抵傘をさし雨から身体と衣類を守る。
しかし、傘をさす度に傘の忘れ物が増えることも事実。電車での忘れ物では傘がダントツに多いという。
それでも雨の日になれば、コンビニのビニール傘が大量に出荷消費されるし、忘れた人は置き傘を盗み、盗まれた人はまた誰かの傘を盗む。
正義の傘をさす人は、最後の人になるか、諦めて濡れて帰るか、それしかない。
街ゆく、慣れている人はそんなバックボーンを持ってるかもしれないと思うと少し傘もドラマだと感じた。
冒頭に書いたように、傘のあり方を変えるのは難しい。
傘の形が確立して数世紀、殆ど変わらないのはそれが使いやすい、生産性が高いことに起因していると思う。
と言っても、どう変えるのか。
それが形なのか、科学の力を導入するのか、もはや「濡れること=粋」とするしかないのか、、特に何も考えもせず日記を書きはじめ、気づいたら傘の話になっていた私には分からない。
多分、奥華子さんが探してた変わらないものは傘だと思う。
無くした頃にその大切さが気づけるから。
ということにしといて、これからも「未だ変わらないシステムやプロダクト、考えに対し、その理由と今後の社会・地球環境に適応した在り方とカタチ」を考えていきたいです。